「映画は人生の師」

年度末の忙しさを承知で、原稿依頼をお受けしたものの、この一ヵ月ほど、何か心にひっかかるものがあって、やはり、お断り申し上げようと、落ち着かない日を過ごしていました。でも、知人でもある小山薫堂さんが脚本家として参加した『おくりびと』が、今年のアカデミー賞外国語映画賞を受賞したこともあって、二転、三転したテーマから、映画について話を書いてみようという気持ちになったのです。

これまでの私自身の人生を振り返ると、映画がさまざまなシチュエーションで大きな役割を果たしています。ちょっと思い出しても、エリア・カザン監督の「草原の輝き」、ルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター」、ジャン=リュック・ゴダール監督の「勝手にしやがれ」、フランソワ・トリュフォー監督の「大人は判ってくれない」、アーサー・ペン監督の「俺たちに明日はない」......。いずれも鑑賞後に、愛や人生について考えたり、早速ファッションを取り入れたり、そしてなにか悩んでいたりするときに、私の不確かな決断をそっと後押ししてくれたり。映画の豊穣の時代にめぐり合えたことはとても幸せだったといえるでしょう。

そんな映画遍歴のなかで、今も、なお心に残る、セルジュ・ブールギニョン監督の映画『シベールの日曜日』は、父親に見放され、修道院の寄宿舎に預けられた少女シベールと、インドシナ戦争で肉体的にも精神的にも傷つき、記憶喪失となった帰還兵士ピエールとの心のふれあいを描いたもので、1962年アカデミー賞外国語映画賞、ベネチア映画祭特別表彰を受けている佳作です。今でもフランス映画の人気ランキングベスト3に入れる方も数多くいらっしゃると聞きます。私もその一人。二人が日曜日ごとに森に囲まれた湖で散歩するシーンや、美しい緑を映し出す湖......。モノクロが故の映像は今でも鮮やかに甦ってきます。

ストーリーの中で、クリスマス・イブに、クリスマスプレゼントとしてピエールは教会の風見鶏を贈り、その時シベールは「本当の名前はシベール」であると告げるシーンがあります。シベールとは、ギリシャ神話の万能神ジュピターと海洋神ネプチューン兄弟の母である大地の女神の名前。つまりこれは、風見鶏が「老賢者」を、シベールという名前が「大地の神」を原型のイメージとする、いわばユングのいうところのアニマやアニムスであることを示唆しているのではという青臭い哲学論議をしたように記憶しています。

また、「私がお母さんになってあげる......」12歳の少女とは思えない成熟さで接するシベールは、大人びているというよりも、まるで母親のようです。シベールの少女だからこその豊かな感受性や直感。最後にピエールが射殺され、二人の関係が終わったとき、シベール自ら「名前もない、そして誰でもない」と叫ぶ、哀しいラストシーンに、ぽろぽろ流れてくる涙に画像がにじんで見えなくなったことを思い出します。この少女に無限の可能性と、そしてこれから来るであろう不条理を感じ、青春期にあった自分をダブらせていたのかもしれません。
「主よ、私をあなたの平和の道具としてお使いください。憎しみあるところには愛を、傷あるところには許しを、疑いあるところには信頼を、絶望あるところには希望を、闇あるところには光を、そして、悲しみあるところには喜びを蒔かせてください。おお、聖なる主よ、私が慰められるよりは慰めることを、理解されるよりは理解することを、そして、愛されるよりは愛することを求めますように。なぜなら、与える時にこそ真に受け取ることができるのですから、許す時にこそ真に許されるのですから。死ぬ時にこそ真に永遠の生命に生まれ変われるのですから」。これは、マザー・テレサがもっとも愛した、アッシジの聖フランチェスカの平和の祈りです。相手に安らぎを心から与えてあげたいという気持ち。それを仏教では慈悲というのでしょうか、つまり寛容という精神性は女性に授けられた特性に思え、しかも少女から大人の女性へ、それは潔癖から寛容へ、繊細な精神の動きは成長と繋がるのかもしれません。

親の期待、世間というえもいわれぬ重圧、青春時代特有の身体と精神のアンバランス、自信過剰と自己嫌悪、消しても消しても燃え上がる心の奥底に潜む声......。そんな狭間で身動きとれなくなった私は、映画を通してたくさんのことを学んで、教えられました。今、思うと、私の精神の一番高いところにいたように思えます。

大好きなドビッシーのオペラ「ぺレアスとメリザンド」に登場するアルモンド王国の老王アルケルは、「人間の魂というものは非常にもの静かなものだ。人間の魂というものは、たった一人でさびしく行くことを愛する」とつぶやきます。自らの老いと死を悟り、運命には逆らえないという哲学めいた言葉を吐いた老王の歳ではないものの、季節が年々早く感じられるこの頃、過ぎし日々を懐かしく思い出すのも年齢のせいでしょうか。

*『ふらんす』6月号(白水社刊)より転載しました

[2009.06.01]

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