再生への確かな想い。逝く人を見送って。

2008年多くの方をお見送りすることになってしまいました。闘う同志ともいえる活動を一緒に行ってきた方の死に接すると、親族のそれよりも耐え難い辛さに包まれてしまうのはなぜなのでしょうか。編集工学研究所長・松岡正剛さんの縁で、お付き合いの始まった牧浦徳昭さんとの別れは10月のことでした。よく知る人から東大寺再建に尽力した造東大寺勧進となった重源上人のようだといわれた牧浦さんは、まさに人と人の縁を結ぶために縦横無尽に全国を飛び回っていました。私どもと一緒にプロデュースした書棚「燦架」は、燦然たる書架の意味で、松岡さんの命名。燦架を一千個つくり、書物を飾りたい、本の祭りを興したい......。牧浦さんが残した夢は必ず開花する夢として私どもに託されました。

音のなかった、12世紀の流行歌『梁塵秘抄』を現代に蘇らせ、独自の世界を切り開いた桃山晴衣さんは年末の押し迫った12月に逝きました。パートナーでもあった、世界的なパーカッショニスト土取利行さんとの立光学舎での活動は伝統や民族音楽に美しい融合をもたらしました。二期倶楽部のコンサート、20周年記念につくった「七石舞台」の杮落としに出演いただき、東京・深沢のかやぶき屋根の小さな庵で『梁塵秘抄』のうたと三味線を披露してくださったときのお姿を鮮やかに思い出します。あのうたや三味線が聴けなくなることは残念の一言につきます。でも、桃山さんのことです、今頃はきっとあの独特のうた声と三味線で、後白河法皇とのコラボレーションであちらの世界でも多くの人を魅了しているに違いありません。

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そして55歳という若さで逝ってしまった奥野憲一さん。自ら企画した『「KOUGEIの素姿」試論 回転体について』(多治見市文化工房ギャラリーヴォイス/104日~26日 ギャラリー册/117日~24日)のオープンを目前に控えた9月25日ついに食道ガンに倒れました。当日務めることになっていたシンポジウムの司会役は、急遽親友でもある東京国立近代美術館工芸課長金子賢治さんがかってでて、無事にオープンしたことが幾分かの慰めになったでしょうか。

幅広い人脈から国内外の有名作家を網羅した「机上空間のためのオブジェ展」をはじめとする各展は、工芸を幅広い視座から日本の工芸の成立する過去を捉えなおし、そこから新しい独特の造型論を導き出すことに他なりませんでした。まさに奥野さんの足跡は、新しい工芸=KOUGEIのうねりをつくりだすことの軌跡でした。そして奥野さんの足跡を辿ることこそ、いわば工芸=KOUGEIの現在性を見続けることになるのではないかと考え、奥野さんが手がけたすべての論文をまとめる編集作業に着手しました。

奥野さんは永年にわたって、私の目指した文化事業の考えのよき理解者であり、よきアドバイザーでした。まさに一緒に闘う同志でもありました。『炎芸術』、「西武百貨店ギャラリー」で紡ぎ出した工芸論は、新しい工芸のうねりをかたちづくるもので、今活躍している陶芸家、ガラス作家、鍛金家など、奥野さんの洗礼を受けていない作家はいないといっても過言ではありません。私もその洗礼を受けた一人です。

肉体は失われても、彼らたちの思い出と、それにもまして普遍でありえた思想と活動は、決して失われることはありません。以前よりも輝きを増しているようにさえ感じます。ひと月の間に満ち欠けを繰り返し、古代より「再生」の象徴である月と同じように、私たちの中でのリバース(再生)したのです。

確かな再生を感じながら、彼らの蒔いた種子を育んでいきます。ずっと、ずっと......。

 


[2009.01.09]

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