ピナ・バウシュ。舞踊芸術「タンツテアター」を発展させ、独自の現代舞踊芸術を確立した、ドイツの生んだ天才舞踏家・演出家といってよいでしょう。初来日が1986年のことですから今回の来日でおおよそ20年の歳月が経っています。今回の来日公演には観客に若い方が多かったと聞き、日本の若い方がピナの現代舞踊を理解しはじめたことに一ファンとしても心からうれしく思っています。 1940年生まれのピナは、14歳からヴッパタールに近いエッセンにあるフォルクヴァング芸術大学でドイツ表現主義舞踊のクルト・ヨースに師事し、ダンサーとして頭角を現しました。ニューヨークに留学し、ジュリアード音楽院で活躍。帰国後、フォルクヴァング芸術大学の教授になり、73年にヴッパタール市立劇場バレエ団の監督・振付家に就任。その名称を「タンツテアター」と改称し、今世紀に始まったノイエ・タンツの様式を演劇的手法で表現するオリジナルな舞踊芸術を確立しました。 ピナを私どもの二期倶楽部広尾にお迎えする機会を得たのは前回の来日の時だったでしょうか。野菜好きなピナのために特別にご用意した野菜寿司に感激され、彩り美しい季節野菜をたいへんお気に召していただきました。出会いはとても感動的でした。すらりとした細身のピナが現れ、周囲の空気をいっぺんに変えてしまうほどの存在感に思わず息を呑んでしまうほど。さらに大きな手。その手は、舞台の上で柳のようにしなう身体と共に、表現主義から受け継がれたとされる表情豊かな動きを支える手だったのです。 手はその人の送ってきた人生を如実に語るものです。人間の手は、顔と同じように、口ほどにものをいうのかもしれません。たとえばショパン。ミラノのスカラ座に残る手形から想像すると、当時のヨーロッパ男性としては小さく、ぎりぎり10度がつかめる小さな手だったようです。その小さな手が、あの激情溢れる、多オクターブの名曲を世に送り出したことに意外性を感じます。その昔、とあるバーで酩酊している姿を見せていた詩人の手は、白く小さな手でした。その手は、詩人が紡ぎだす言葉を想像させ、「さもあらん」と感じたことを記憶しています。 二期倶楽部広尾でのピナは、公演後のひとときを大変リラックスしていただいたようです。来店の記念に白扇にサインをいただきましたが、白い扇に、黒のサインが鮮やかなコントラストを見せ、それは美しい一筆でした。人の心の奥底まで見通してしまいそうな優しいまでの眼差しと、その心さえも鷲づかみしてしまいそうな動きをする大きな手。あの時から、私の心はピナ・バウシュに魅了されたままです。
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